ペーパームーンと燃えよドラゴン
僕の兄は、格闘家です。
東京の中央線沿いのとある場所で中国拳法を人に教えて生活しています。
頭を丸くしており、腕は僕の足のフトモモより太いんです。
何故、ピアノの先生の母から、格闘家が育ったのか?
これは、本当にちょっとした事がきっかけでした。
それは、僕が小学3年、兄が小学6年の夏休みの時です。
福岡に住んでいた僕たちの所に、東京から叔母といとこが遊びに来ました。
そして、母と兄と僕、叔母といとこの5人で博多の中洲にある映画を見に行くことにしました。
見に行こうとしたのは、少女時代のテータム・オニール主演作「ペーパームーン」。
とても感動的な映画でした。
が・・・しかし。
いざ、中洲の映画館の前に行くと、「ペーパームーン」の隣で、何やら人でごった返している映画がありました。
それは、あのブルース・リー主演作「燃えよドラゴン」。
この「燃えよドラゴン」の看板の前で、兄は言いました。
「お母さん、僕こっちが見たい!」。
最初、母は反対しましたが、兄が引かないものであきらめ、結局兄は一人だけ「燃えよドラゴン」を見ることになりました。
そして・・・。
映画が終わった時、僕たち「ペーパームーン」側は「いや~、いい映画だったね~」と目をウルウルさせていました。
ところが兄は・・・。
既に目付きが険しく変わってました。
その日から兄の生活は一変。
大山倍達師匠の「極真空手」に通信生として入門。
家の中には、空手着やヌンチャクやらが散乱。
読むマンガは、梶原一輝の「空手バカ一代」。
翌年、兄が中学校へ上がった時、博多から東京迄の新幹線が開通。
夏休みにこの新幹線に乗って、父と兄と僕で東京へ。
兄が「極真空手」の合宿に参加するため、池袋の本部へ行きました。
その後、兄は「極真空手」から「マーシャル・アーツ(初代タイガーマスクの佐山悟さんがいた所)」へ。
最終的には、「中国拳法」へ行き着き、現在に至っています。
ホント、きっかけは「ペーパームーン」を見ずに「燃えよドラゴン」を見ただけなんですが・・・。
結局、兄も僕もピアノを弾かない兄弟となってしまい、母に寂しい思いをさせてしまいました。
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